ここまで進化したらどうなるの「No No Girls」
前回もコメントありがとうございました。うれしいなー。他の、朝日カルチャーセンターの『行動と人格講座』でメールくださった方も、DMくださった方も本当にありがとうございます。
グッズ欲しいと言ってくださってありがとう!
ステッカーとかコップとかまだそのままあるんで、イベントとかで販売したいと思っております。ちなみにラインナップは2022年5月に書いた「文学フリマとかAirPods(第3世代)とか」←に載ってます。さらにちなみに、この時の文学フリマが『女40代はおそろしい』のコラムに書いた即売イベントです。
前回の目次のところに「めっちゃ凹んだときにやったこと」っていうの書いてあったのに、本文には書いてない、とご指摘受けました。ホントに書いてなかった、失敬! その話から今回は書きますね~
田房式心技体
私はよく凹みます。30歳までは「凹んでる」がデフォルトでした。いつでも例外なく常に凹んでました。一個の凹むことがいなくなった瞬間に次の凹むことがやってくる、って感じでした。だから29歳で親との関係がヤバいって自覚して「自分の心の問題は自分で取り組める」という概念を知ってから、「凹んでない日」が存在するようになってビックリしました。もしかしてみんな、こういう快適な生活をしてたんか?! と。
今になって30歳までの「EveryTime凹み」を別の言い方で言うと「次の凹みが来るまで現在の凹みを持続させていた」ということでもあります。凹んでいてこそ私、凹んでいる状態がアイデンティティ、そんな感じです。
ちなみに、凹むというのは「いやなことがあって不快な感情になり苦しくて日常生活に支障が出る」ことを指します。私はその不快な感情を消す方法をいろいろ模索しました。普段やっている方法を『人間関係のモヤモヤは3日で片付く』に書きました。今ならKindle unlimitedで読めます。『笹舟』が効くと好評です。
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最近は体が中年だから鉄分とかが明らかに足りなくてそれが精神にもめっちゃ影響するから、病院に行って処方された薬とかがいいと思ってて、飲んだりもします。私は糖衣された錠剤がなんなとくあんまし飲みたくなくて、サプリメントが苦手です。サプリが効いてる!と思ったことがないんですよね。漢方とかガッツリ西洋医学の処方薬のほうが好きかな。
そういう体調を整えるのとは別に、イレギュラーに突如やってくるショッキングな出来事に応対する、っていうのはやっぱその度に「自分は今どう感じてるか? 何が必要か?」って自分に聞いて処置しないといけないんですよね。とりあえず放置するのもアリなんだけど、結局あとでまた「ウガアア!! あの時のアレ、まだ納得できてねえぞ~~!!!」って自分の中からなまはげが出てくるので、私は「これ私いま、ショック受けてるな」と気付いた時にその場で掻っ捌くスタイルです。
こういうのって、《傷ついている自分(心)》を《自分(脳、体)が察知》して《自分が対応(技)》してあげることだと思うんですね。それが私の思う心・技・体(太極拳のポーズで)。
やっぱ、ずいぶん経った頃に「あの時ごめんね」って電話で言うよりも、その日のうちに「あれっ?やだった?!ごめんごめん!やだったねー!」ってハグしてその場でセラピー予約するとかのほうが、自分自身に「生きていていいんですよ」ってことが伝わりやすい気がするというのもあります。《心》がショック受けてるな、つらいんだろうな、と思いながら「世の中そういうもんだからね」って知らんぷりするのって、自分に自分で意地悪してるのと同じと思うんですよね。あとで「あの時ほっといてごめん」って自分(技・体)が言ってくれたら「分かってくれた」っていうことで自分(心)がすごい納得して許すんだけど、でも意地悪してる期間ってやっぱ、そのショックな出来事のこととさらに自分(技・体)から無視されてるショックがダブルで起きいていて自分(心)がどんどん弱るし自分(技・体)への信頼も損なわれるわけなんですよね。
どうせ自分のことは許さないとやっていけないからいつか許さないといけないし、そもそも自分(心)を自分(技・体)が「そんなことで傷つくんじゃねえ」と〝許さない〟態度をとるなんてこと自体が間違ってると思うから、誤解はあってもいずれ許さないと生きていけないから、まあ、早めに許してると自分(心)は結構ご機嫌でいてくれる、なんかあっても爆発しないで待っててくれる、って感じします。
やるじゃん、スペンサー・ジョンソン
今回も凹んだことがあった(ネットで自分の悪口を見てしまった)んだけど、とりあえずダイアンのyoutube動画を見て癒やされようと思ったら、おすすめ動画に書評系チャンネルのサムネが現れ、スペンサー・ジョンソンの「頂きはどこにある?」っていう本を知りました。「チーズはどこに消えた?」の第3弾くらいの本で、だいぶ前からベストセラーらしいです。

薄いのですぐ読める! 弱ってる時って本が薄いと助かるよね。
私が見たのは帯に「逆境を乗りこなせば人生は必ず好転する!」って書いてありました。「山と谷を思い通りに操る」とか。私はいまこれを読むべきである!!!Kindleではなく紙で!! と思って、近所の本屋に行って買ってきました。自分を救うためには、即行動!
読み始めたら「これは『気の持ちよう』って話なのでは?」と思ったけど、37ページ目で、なるほどそういうことかって手応えを感じました。
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いきなり解雇されて仕事を失った人が、次の仕事の面接に行く。面接官はどっちを採用するか?
A 打ちのめされたようすで「元の雇用主からひどい扱いを受けた」ということばかり言い立てるような人
B 苦境にあっても良い点を探し、進んで新しいチャンスを求めよりよいものを見つけようとする人
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答えはBですよね。要は『どんな逆境がきても腐るな、自ら闇に堕ちるな』ってことなんですよね。もののけ姫で言うと「タタリ神なんかになっちゃダメ!」なんですね。
私はこの10年ずっと、自分の好きなことを書いてそれで気分を害した人が書いた悪口をネットで見るたびビックリしてギョッとして傷ついて疲弊して、見知らぬ人々の冷たさに凍えて閉じこもって書くのやめて「私ってこんなにいい人なのになんでそんな意地悪言われるの?」と被害者モード100%で「そんなに他人に攻撃的でいたら世界は平和にならないよ!」っていうテーマの漫画を描き、ほとぼりさめたらまた同じようなコラム書いて炎上する、そして震えて閉じこもる、その中で思ったことを漫画で昇華する、を繰り返してました。漫画にするって行動はBかもしれないけど、マインドは完全にAでした。
マインドもBのままでいるって方法が私にもあるかもしれない??って目から鱗でした。
ナマズという考え方
書いたコラムがバズって批判も多いと「炎上」ってことになります。
前は「自分の書いたものが炎上している」という事実に耐えられなくて、友達に知られたくないから黙ってました。このコラムを読まれたらあの人にも嫌われるかもしれない、という心境になってしまってどうしても無理でした。今回もそういう恐怖が湧いてきました。
「炎上」すると、今までやってきたことを自ら崩壊させてしまったような、今まで仲良くしてくれた人が全員離れていくような恐怖がでてきます。そんでどんどんそっちに引っ張られて、現実にそれが起きているような気持ちになってくる。
しかしこの「崩壊」は幻想であって、炎上した人が陥りやすい心理っていうことも分かってるので、今回は「これを読んで、〇〇さんが私を嫌いになるってどういうことだ??あり得ないだろ」とマトモな思考のほうにピントを合わせるのをがんばりました。もし嫌いになったら別に仕方ないし、その場合にコラムは関係あるようでないだろう、と思った。
そんな時、ふと、ある人の言葉を思い出しました。
私が大好きなドキュメンタリー番組「キャットフィッシュ」のニーヴの言葉です。

右がニーヴです。左はマックス。huluでの字幕ではニーヴになってるが、Wikipediaではネヴになってます。
「catfish」はアメリカの番組で、ネットで容姿や性別などを偽り、相手を騙して恋愛関係を継続するという「なりすまし」行為をする者を、ニーヴとマックスが探し当て、本人に真実を尋ねるという番組です。騙された者はもちろん混乱したり怒ったりします。
ニーヴは「なりすまし行為をした者」の人格を攻撃して追いつめることはせず、その行動をしてしまった気持ちや経緯に焦点をあてて対話します。なりすまし行為をする者を「キャットフィッシュ(日本語では『ナマズ』の意味)」と名付けた理由をニーヴはこう語っています。
昔は、アラスカから中国までタラをタンクに入れて運んでいました。船のタンクに入れておくのです。タラが中国に着く頃には、身はドロドロで味がなくなっていました。そこで、ある男が、この大きなタンクにタラを入れ、ナマズも一緒に入れれば、ナマズがタラを機敏にしてくれるというアイデアを思いつきました。
人生にはナマズのような人たちがいます。彼らはあなたを緊張させ、考えさせ、新鮮にしてくれます。私はナマズの存在に神に感謝します。誰かがヒレをかじってくれなければ、私たちは退屈でつまらない人間になってしまうからです。
— ネヴ・シュルマン(映画『キャットフィッシュ』)
これを初めて読んだ時「害のあるワケわかんないことをしてくるヤツに対してどんだけ敬意を持っているんだ」とビックリしました。ニーヴはそもそも、自分がなりすましに騙されていてそれを映像に撮ったところから番組が始まっているので。こういう精神だからああいう番組になるんだな。本当にすごい。
「新鮮にしてくれます」だって?! そういうふうに捉えられるように私もなりたい! でも絶対無理! と思いました。
今回、それを思い出して「私のコラムに怒って私の悪口をネットに書く人たち」は私にとってのキャットフィッシュなんだ、感謝しなきゃ、って感じで言い聞かせました。彼らのおかげで私が新鮮でいられるんだ、って。
でも、私は「こんなこと思ったよ~」ってどっちかと言えば平和なコラムを書いてるつもりなのに、それについて怒髪天で怒り狂う人がいるのって、私がその人たちを怒り狂わせるきっかけを作っているわけで、つまりその人たちにとっては私がキャットフィッシュなのでは? と初めて気づきました。
自分がやっていることとか、自分の存在が、誰かの、世の中の一部を少しでも新鮮にさせているのかもしれない、と考えると「炎上」が違うふうに思えてきた。
人を怒らせる、不快にさせる、のは「悪」だと私は思っていて、自分にそういう、人を怒らせるところがあるっていうのを認めたくなくて、人を不快にさせるなんて絶対にそんなことあってはならない、って思ってるから自分の悪口を書いてあるのを見るとめっちゃくちゃショックなんですよね。
でも「自分の意見を書いて、それを読んだ人が怒ってしまうことって別にそんなに悪いことじゃない」「むしろ刺激になって良い、という部分もある(その怒っている人はそんなふうに捉えていないとしても)」と思ったら、なんだか肩から力が抜けて、なーんだ、みたいになりました。
「頂きはどこにある?」に、逆境を別の視点から見て順境に変えろ、っていう教えの通り、今までの「炎上」とまったく違う印象を「炎上」に対して自分が持ち始めたのでビックリしました。そしてその時にはスッカリ、気持ちは明るくなっていて、凹みがなくなってました。
そんな感じで、セラピーとかカウンセリングで自分の気持ちを整理する時もあるし、誰かの言葉で立ち直る時もあるよねーって話でした~。
大阪に行きます
12/17 梅田ラテラルで、小川たまかさんとトークイベントします!
申し込みはこの↓画像を押すと梅田ラテラルのページに飛びます
今年気になったニュースとか、今年あったこととか、ラフに話す会になると思います。お酒とかフードも充実しているお店なので、お気軽に飲みにきてください。途中から来てもいいよ。

梅田ラテラルのフードメニューです。じっくり見てください。行きたくなってくるはずです!

どれにしますか? もう決めちゃって下さい。17日です。火曜日の夜です。来れる方はぜひ来てくださいね。挨拶させてください。私は酒はほぼ飲めないんですが、モヒートは味が好きです。でも1杯飲めるかどうか、って感じです。昔よりは飲めるようになった気がします。マルシアさんがテレビで出産したら酒が弱くなった、強くなった、みたいな話をしてたけど、私も出産してからちょっとだけ強くなったような気がする。
時間があったら国立民族学博物館に行こうかな。ちょっと時間が無理かな。奈良も行きたいんですが、無理かなー。大阪の、個人でやっているいい感じの本屋さんとか雑貨屋さんをリサーチしてみます。
ここまで進化したらあとどうなるんだ
話題の「No No Girls」見てます。Hulu派です。youtubeでも観れます この画像↓にリンク貼っておきました
「No No Girls」は、ちゃんみなプロデュースのガールズグループのオーディション番組です。10代20代の女の子達が出てくるんだけど、90年代だったらこんなに歌える10代20代いたら即デビューだよね、中野裕之がPV撮ってSMAP×SMAPの最後の歌のコーナーに即出演決定だよね、って子たちがザクザク登場して、全員がキレッキレのダンスを踊りながら口パクなしで歌うんです。
自分たちで振り付けもするし、作詞作曲もラップもできちゃう。英語の発音がネイティヴなのは当たり前。ポップもR&BもバラードもHIPHOPもできる子が何人もいる。ラップやったことない人も、自作のラップを数時間後にレコーディングとかしてて異次元。しかも自分の思い、気持ち、を自覚してそれを形ある手段で表現する力も要される。歌詞も「強くて美しい私を見下したお前らを笑ってあげるよ札束片手にな」みたいな90年代にはなかった、そういう系。
グループ分けされてチームプレーなんだけど、ちゃんみなにアドバイスされながら自分たちで中毒性のあるサビと振り付けまで作っちゃう。
20世紀末前後で例えたら、宇多田ヒカルとLOVE PSYCHEDELICOとMINMIとEAST END×YURI(DA.YO.NE)のYURIが全員キレッキレのダンスしながらすごいフォーメーションでセリーヌディオンばりに歌い上げる、みたいな感じです。例えがたぶん合ってないけど、言いたいのは「令和のエンタメ業界の技術進化がすごすぎてついていけないよ」ってこと。ダヨネーで十分なんだけど!? ここまでされるとすぐ涙出ちゃうんだけど?! サンキュー!!(絶叫)
人間性もみんなちゃんとしてます。テンパってキレ散らかすやつとかいない。BIG BANGのVIのおかげなのか「アイドルは才能と同じくらい人間性が大事」っていうのが定着した感じしますよね。
ちゃんみな最高
「No No Girls」はちゃんみなが的確に指導したり指摘したりするのもすごいおもしろいから人気ある。ちゃんみなは36歳くらいだと思ってたら、まさかの25歳で「え?」ってなりました。表示が間違えてると思って2024ー1998の計算しちゃった。
ちゃんみなが話してる経験値、体感だと50年分くらいある。普通の人間が20年くらいかかることを3年くらいで咀嚼してアウトプットできる人なんだと思う。出してる曲の多さからしても35歳以上だと思ってた。25歳ってなんだよ。信じられない、すごい!
リアリティーショーとして「No No Girls」が優れているのは、参加者の年齢を「(20)」とかで数字で表記しないところ。功を奏してると思います。あまりにも若い子たちなので、もしその子の名前の横に年齢が数字で見えると、見てる側はどうしてもその数字に引っ張られてしまって「16歳にしてはすごい」とか「私が16歳のときなんて・・・」とか「うちの子の4歳上か・・・」とか思って気が散る。私は絶対散る。
でも年齢が出てこないので、純粋に参加者の能力、魅力だけが情報としてズバーンと入ってきて「1人の人がスターになるために行う行動」を集中して見ることができる。(Hulu版はyoutube版より長い完全版らしい)
「成長すること、集団の中で自我を出すこと、明るいマインドの保ち方」など、大人も実生活で役に立つことをみせてもらえる感じ。10~20代のアイドルたちの過酷な努力生活、ものすごく遠い世界なのに、とても近いものとして自分に活かせることができる感じです。
そんで、オーディションだから選ばれて落とされるシーンもある。その人自身がダメなんじゃなくて、その時たまたまその集団の過酷な状況の中で「逆境を逆境としてカウントしてしまってその谷から出て山を登れない気分になってしまった」って人が落ちるんですよね。まさにスペンサー・ジョンソン。他にもいろいろ落ちる理由はあるんだけど、ちゃんみなが丁寧に説明するのも興味深いです。歌やエンタメは流行があるけど、スペンサージョンソン的なことは普遍的なことだから、そこにピントを合わせて審査してるちゃんみながすごい、ってなっちゃいます。ほんとに何なの25歳って。ねえ!
「No No Girls」私がファンになったのはREIとNAOKOです。他の人も全員良いです。ほんと。
まだオーディション終わってないけど、このグループが紅白出たりするのが楽しみ、と言わざるを得ない。
では、みなさま年末も近いけど、がんばっていきましょ~! またね~!
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