途中からはもう無駄話の長文、2024

柳葉敏郎のファンコミュニティ2011/甘利さんの思い出/高額教材押し売りバイト/もちつきポエム
田房永子 2024.01.07
誰でも

新年あけましたね。

現金を寄付をするくらいしかできないけど、そんな自分に罪悪感持ちすぎず、元気に暮らそう。と思っています。寄付をできるだけする、でも自分の生活が疲弊しない金額にすることをがんばる。

災害や大変な事故や事件のニュースを見るたび、思い出すのは柳葉敏郎ファンの人のことです。

2011のギバファン

東日本大震災の時、東京で震度5強を体験して津波や原発事故の映像を見て、近所のスーパーでのみんなの混乱ぶりを見て(当時子どもがいなくて引っ越してきたばかりで近所に誰も知り合いがいなかった)自分の家はなんともなってないけどメンタルが不安定になってました。思考もおかしくなってて、ご飯を炊いて出来立てのごはんを食べたら不謹慎かな、とかまで思ってた。

この震災がTwitter普及のきっかけだったから、その時はまだmixiも見てたと思います。2005年くらいのmixi全盛期、私は柳葉敏郎ファンコミュニティに入ってました。でも2011年の時点ではもう自分がギバファンということも忘れてたんだけど、mixiのダイレクトメールで知らない人から『柳葉敏郎の◯◯って作品のDVDを持っていたらダビングさせてもらえませんか』っていうお願いが来ました。

「いま日本が大変なのにそれどころじゃないよ!」とビックリして『どこにお住まいでうか? いま東京はパニックです。ギバちゃんのDVDは持ってません』みたいなことを返したら、『関西なので、分かっていませんでした、すみません』っていう恐縮したメールが返ってきました。

そのとき、関西ではみんな普通に暮らしてるんだ、って思って、良かったー!って思ったんですよね。島国にっぽんにいる人たち、全員が自分みたいに不安定じゃなくて、通常の生活をして元気な人がいる、っていうのは不謹慎ではなくありがたいことだ、って思った。

頼れるバイト甘利さん

あと、もう一つ思い出すのは学生の時にバイト先で一緒に働いてた甘利さんです。当時、立川に中華街がオープンして、その中の中華料理店でバイトしてたんだけど、甘利さんっていう飲食店バイトの申し子みたいな完璧に仕事をこなす男子大学生バイトがいました。私より1個か2個年上だったけど、もう社会人みたいな雰囲気の人でした。

中華街自体が毎日大混雑で、私のバイト先もぎゅうぎゅう詰めに座席が配置されてて、そこにお客さんがビッシリ座り、たくさん注文して飲んで食べて、大盛況でした。

ある日、80代くらいのおばあちゃんが座席に座ったまま横の壁にもたれかかって動かなくなっていました。甘利さんに「あのおばあさん大丈夫でしょうか」と聞くと「酒を飲みすぎただけ」と言っていた。私は今もだけど酒が全く飲めないので、酒で酔う危険度がわかんないんだよね。酔っ払って地面で横になってる人とか、これは激ヤバでは!?死ぬんでは?!と私は思うんだけど、酒に慣れてる人は「あー 大丈夫だよ 放っておいてあげて」とか言いますよね。 

そのおばあちゃん、今思えば寝てただけなのかもしれない。おばあちゃんと一緒に食べてる人たちもまったくおばあちゃんを気にせず食べてました。

だけど20歳だった私はおばあちゃんが気を失ってるようにしか見えず、「ヤバいのでは?! 救急車なのでは?! ご臨終なのでは?!」ってハラハラして甘利さんに「あの人、放っておいていいんですか」「救急車呼びましょうよ」とか2−3回たずねたのです。大丈夫だっつってんのに、むちゃくちゃ忙しい横から話しかけられ続けた甘利さんはとうとう怒気を含んだ声で私にこう言いました。「あのな、あの人が死のうが、お前はお前の仕事をするしかないんだ、お前のするべき仕事をしろっ!!」

ハッとして、「え? あの人が死んでも、私は私の仕事をしていればいい? そうなん? 人と人は助け合わなきゃいけないんじゃないの?」と思いながら、私は自分の仕事(中華料理運ぶ)に集中しました。

結局おばあちゃんは一緒に来た人たちに抱えられて帰っていった。大丈夫そうでした。

災害とかが起きて自分と被災地の人たちとの境界線(あくまで私の心の中の)が分からなくなって、罪悪感とかが湧いてきた時、この甘利さんの言葉が頭に浮かびます。

甘利さんはその後、短大卒業間近に「歩合給、月50万円のメンバーもいます」というフロムエーに書かれた説明文に飛びつき高額教材販売のバイトを始めた私に、「そんな変な仕事するなよ。お前は路上で絵でも売ってればいいんだよ」と叱責してくれました

高額教材押し売りバイト

高額教材販売バイトについてですが、このバイトは「億万長者になったるんや」って普通に口から発する27歳の社長(当時のつんくみたいな髪型)がフロムエーに出した募集を見て、雑居ビルの事務所に集まった大学生バイトたちと一緒にやっていました。

中学生のいる家庭の電話帳(ここにあること自体がヤバい)で片っ端から電話して、「ご自宅に直接行って教材販売のプレゼンをしてもいいですか」とアポを取って、OKをもらえたら実際にその家に行って中学生とその親へプレゼン(80ページほどあるマニュアルを一語一句叩き込みそれを喋る)して、60万円くらいする教材を買ってもらうっていう仕事でした。

面接の時、億万長者志望の27歳の“社長”が「この仕事ができれば君はどこででもやっていけるんや」「逆に、この仕事ができないやつはどこに行っても負け犬や」「自分次第で月50万、60万、100万だって夢やないんやで!」みたいなことをけたたましくバーっと言われて、ふああ+++!!!となって、始めたのです。20歳くらいの時って、自分は社会で通用するのかがすごい心配じゃなかったですか? 私はかなりそれが気になってたので「ここでやっていければ大丈夫」みたいなのにすごい弱かったです。

普通に、その“社長”も同じことを上のグレーな人たちから言われて“社長”をやってるんだというのはその場では気づかなかった。(20歳ってほんと、、、若いよね。なんもわかってない子どもだよ。成人年齢が18歳になっちゃっててわけわかんないんですけど。)

社長のボロクソ・テクニック

面接の時点で「あ、やりません」って行って帰っていった男子がいて、そういう人のことを社長は「あいつは負け犬! どこ行っても無理やな」ってボロクソに言うんですよね。そうやって支配するマニュアル🎵

あの時、自分1人で気づいて帰ってた男子は賢かったんだな、って気づくのも後日でした。

私は、母と同じ家に住むのがつらすぎて、実家を出る金が欲しかったのでがんばろうって思っていました。だけど、そのプレゼンのマニュアルを言われた通りにちゃんとやろうとすると、「ハァイッ! ということでね、◯◯くんは、成績が上がらないことで困っているのかな?! 中学校の勉強で、大事なことってあるんだ。わかるかな?」とかそういう感じなんですよね。(元気に)とかフォルテッシモ的な指示も書いてあるから。完全にマルチの勧誘の喋り方なんですよね。

「どうしよう、1人で知らない人の家に行って、こんな怪しいトークするなんてできないよ…」って思いながらアポの電話をかけるので、2回くらいかけたらもうつらすぎて、その事務所に通って電話をかけてるフリをしてました。ちゃんと通ってました。ちなみに、当然、客が購入完了した時にやっと歩合が発生するので、アポ取りだけは時給も発生しません。家に行っても売れなかったら無報酬。

「ツーツー」って鳴ってる電話口に話して、「アッ 切られちゃった」とか独り言言ってました。だから実質、まったくそのバイトをしてないけど、事務所には2週間くらい通ってました。これくらい売ることができなきゃ、どこに行っても通用しない負け犬になってしまう、という恐怖で…。私以外の大学生は5人くらいいたけどみんな「一攫千金」とかが好きなタイプで、坊主頭の遠藤くんっていう人は「ここで月50万になるから、30万のパソコンのローン組んだ」とか言ってて、遠藤ヤベーと思いながら私も通ってました。遠藤くんとかやる気まんまんの子は社長に可愛がられ、「遠藤!てっぺんを取れ!」とか「お前ならできる!」とか社長が墨と筆で書いて壁に貼りまくってました。私の名前はなかったけど、私以外の誰1人もアポ取れてる人はいなかった。

中華料理店のバイトもまだ続けてたので、甘利さんに「高額教材のバイトを始めた」って言ったんですよね。え、これ、変な仕事なんだ、ってそこで気づいた。それで高額教材バイトはやめた。中華料理もそのあとちょっと経ってやめた。

甘利さんとはそれ以来まったく交流はないけど、なんか「お前はこれをしてればいい!」っていう境界線をバーンと示してくれる人だったなーって思い出します。

もちのポエム

子どもの頃、もちつき大会で食べたおもちがすごく美味しかった。もちについた水分で、きな粉も色が変わってて、ビヨーンと伸びてとろーんとしてるもち。そういうもちをたぶん20年か30年くらい食べてないと思う。

ずっと望んできた、つきたてのもちを。

もちつき大会には何回か行った。

だけどどれも固いもちだった。

有名な市場のつきたてもちを食べに行ったけど、あのびよーんとろーんじゃなかった。

子どもの頃に食べた、やわらかすぎて原型なし、みたいなつきたてのもちが食べたい。

諦められなかった。

コロナ禍ともちつき大会は相反する関係。

今年は、自転車で行ける距離の場所でもちつき大会が行なわれるらしい。

開始時間の10時きっかりに行って、まさにつかれたばかりのもちを食べたいと思っていた。

家族でもちに興味があるのは私の他に娘だけだった。

娘と「できるだけつきたての時間に着こう」打ち合わせした。

気づいたら「神様、お願いします、つきたてでお願いします」って頭で言ってた。

もちつき大会に着くと、ちょっと思ってたのと違っていた。
なんかの企業団体のイベントみたいなやつだった。地元のおじいちゃんとかがやってるやつじゃない。

35歳くらいの男性が私服のまま、ノーエプロンノーマスクノー手袋でもちの準備をしていた。かなり小さい臼、持ち上げる時に男性の服のお腹部分が臼にインしていた。その部分は大丈夫だろうか、何か付着していたらもちの中で拡散状態になるが…
出店を出すとき、検便検査ってするよね。でもそもそももちつきって素手でやるものだし、いろんな人(検便検査してない人たち)が交代で打ったりするよね、杵。もちつきというもの自体への衛生面の疑念は、昨日までの時点で不安だったのでイメトレして払拭したはずだったが、不安になってきた。
でも、案外もち売り場が並んでなかったので並ぶことにした。
出来上がったもちを丸める人が、ブツっ、ブツって感じでちぎっていたので、私は心で叫んだ。「あ、これは、だいぶ硬いぞ! てゆーか、もち米の形状が残ってるもちだ!」
娘と2人分で4個買う予定だったが、2個にしておいた。
きな粉はそのままの色と形状で餅の上にかけられていた。だいぶ硬かった。
来年こそ、もちつき大会を開拓したいと思う。
そんなわけさ。ではみなさままた次回もよろしくおねがいしまぁーすっ!

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