ミラベルを観た~アナ雪と安倍夫妻~
みなさま、年も明けて半月経ちましたがいかがお過ごしですか?
私はもう腐りそうです。腐る、乾燥してカリカリになって縮んで腐る感じ。今これがすごくしっくりきます。腐りそう。だってさ、なんなん毎日毎日気温が変わりすぎでつらい。私は冬が大好きで、おととしや去年の暖冬は物足りなかった。そんな私は今年の冬はつらい。部屋の中はあったかくしてるし、体も冷えてないのに、芯が動けない寒さ、みたいなのを今年は感じるね。抱負も2日くらいは完璧にできたのにあとはもうだめ。寒さのせいってことにする。でも腐っちゃいかんね。てきとうに、がんばっていきましょう☆
今回のラインナップです
■たぶちゃんRADIO一人語り〈サトイモの煮っ転がしが旨かったって話~〉
■ミラベルを観た〈アナ雪と安倍夫妻〉
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■たぶちゃんRADIO一人語り~サトイモの煮っ転がしが旨かったって話~
こないだのこと。スーパーで買ったサトイモを蒸してから、鍋で煮っ転がしの味を付けたんだ。出来上がって口に入れたらねっとり溶けていって、美味しすぎて震えたよ。サトイモは私以外の家族は好んで食べないから、サトイモの煮っ転がしを作ったのが数年ぶりだったんだ。
それでたぶちゃん思い出したけど、初めて一人で作った料理はサトイモの煮っ転がしだった。22歳、実家を飛び出した頃だね。最初は若竹煮だったかもしれないけどね。
お料理雑誌「レタスクラブ」に載ってるレシピを作ってみて、美味しかったからまた作るみたいな感じ。「大根 にんじん」とか冷蔵庫に余ってる野菜をインターネットで検索したら該当するレシピが出てくれば便利なのに! っていっつも思ってた。何年かしてクックパッドが登場して「これやで~!」って。
43歳になって作ったサトイモの煮っ転がしがおいしすぎて、野菜としてのサトイモ自体の美味さの進化も感じた。そして自分の進化も。
生まれた時は野菜を切ったり蒸したりの作業ができなかったじゃん。20歳過ぎてたどたどしく計量スプーンとかで作ってみて、だんだんそれが普通のことになって。40歳過ぎたらレシピ見なくても適当に蒸し器にブチ込んで味付けも超適当。台所で立ったままハフッと食べてみて、震える旨さ。「絶対おいしいレストラン」で食べるものは当然美味しいけど、自分が「今これが食べたいな」って思って適当に作ったものがめちゃくちゃ旨い時の衝撃って、やっぱ超えるんじゃないかな、レストランを。予測してなかった喜び、その時の舌とか脳の快楽、それを味わうために生きてるんじゃないかとすら思ったね。
そう考えると、生まれた0歳から20歳までの変化ってそりゃもうめちゃくちゃすごくない? 身長50センチくらいだったのがバカでかくなって体の形も変わりまくってるし、20年でそれだけ変化するのに比べたら、20歳から40歳への変化ってそうでもない。なのにどうして顔にクリーム塗りまくったりして「老化」を必死に抑えなきゃなんねんだ?
そんなことを、煮っ転がし頬張りながら思った次第だよ。
(たぶちゃんRADIO ~fin~)
■ミラベルを観た〈アナ雪と安倍夫妻〉
ここからはA面B面って話になります。A面B面についての解説ページを用意しました。
よう分からんぞという方は、こちらを参考に読んでいただければと思います!!→A面B面についての解説ページ
子ども達と過ごす連休、予定がなかったからなんとなく映画館に観に行った「ミラベルと魔法だらけの家」がめっちゃめちゃハチャメチャに面白かったです。
アナ雪とかに比べるとぜんぜん話題になっていないミラベル。だが最高。
人間社会における「家族、親戚」の普遍的な原型を徹底的に再現していて、「こういう叔母さん、伯父さんっているよね」っていう顔や表情、体型とかもかわいいアニメになっている。舞台はコロンビアで作っているのはアメリカだけど、日本の「親戚」にもあるあるで、これって世界各国共通なんですね、っていうのも楽しい。
ストーリーの根幹はそれら「人間、家族、親戚」の抱えがちな問題とパターン、さらにその解決法(実際の現実でもそれが解決法だよねっていう方法)が軸になって、そこに「魔法」っていうファンタジーが彩りになってて、さらにミュージカルというむちゃ楽しいエンタメでコーティングされていて、すごすぎました・・・。
■人の役に立つこと
ミラベルの家族は、言い換えると「ボスが個人的に持つ〝恐れ〟を基盤に構築された集団」。魔法という授かりもの(B面)を、人の役に立つもの/社会的な力を示すもの(A面)として使う事をボスは望んでいるので、それに沿ってメンバーたちも生きています。
「授かりもの(B面)を人の役に立つもの(A面)に変換させよ、それが強さである」というのは親が子に求めがちなやつで、そうすると「授かりもの」の差によって子たちが葛藤するのは当たり前で、その時に発生する苦しみは、〝子孫〟になるほど沈殿して濃くなっていく。家庭内に起こる厄介事は、沈殿した苦しみが破裂しているだけなんだけど、「子どもが自分とは関係なく単独で問題を起こしている」って親は思っちゃう。
〝本当の問題はなんなのか〟という視点が問題解決の鍵になる。
とかっていう「家族」が陥る問題のめちゃくちゃオーソドックスなやつが、ミラベルには幕の内弁当のごとく詰まりまくってました。
■個人戦だった「アナと雪の女王」
「ミラベルと魔法だらけの家」が集団のA面B面の話だとしたら、「アナと雪の女王」は一人の人間、個人の中のA面B面の話だったんじゃないかと思います。
アナ雪について前に書いたコラム→「アナと雪の女王」は自己統合の物語である。」
アナ雪1をA面B面で解釈すると、「アナとエルサが住む城」を1人の人間として見ることができます。エルサがこれから女王となって治める「アレンデール王国」はその人間の生活/人生。
エルサの氷の能力はもともと彼女に備わったものなのでB面で、「アレンデールが大変なことになっているからと戻ってきて一緒に王国(人生)の立て直しをしよう」とエルサに伝えるアナはA面です。
誰でも、心の中にこういった葛藤がある。人間は一人では生きていけないから社会で生きていくには生活(A面)をちゃんと保ちながら、自分自身の内面(B面)も大事にしていかないと死んでしまう。アナ雪1ではそんな「B面を押し殺してA面だけで生きてきた人のB面の大爆発/大解放によって同時に起こるA面の崩壊」が前半で描かれています。
そして「一時的な苦しみは伴うものの、自分のB面を認めて受け入れてもA面は維持できる」という希望で締めくくられている。爆発したB面も尊重し、折り合いをつけながら自分のA面も破壊せず、人生を進める、ということが人としての成長であるっていうメッセージを感じる超スゴイ映画。
アナ雪がとんでもないのは、さらにパート2で、エルサ(B面)をさらにルーツに迫らせ発展させること。パート1の「氷の城で『寒くないわ』って言ってた自分」をエルサ自身が「黒歴史」と思っている感じのシーンまで入れていた。
つまり「B面の爆発(A面の崩壊)」はやはりヤケッパチであり、一時的であり衝動的であり、そのものは誉められたもんじゃない、ということだと思う。あの「ありのままで」のシーンは本当は〝恥ずかしい〟シーンなのである。だけどあのシーンが世界的に大人気なのは、やっぱりあんな風に「B面の爆発」を見せてもらえるのは、それこそファンタジーであり、私たち人間にとって気持ちが良い光景なんだと思う。
B面を爆発させたエルサは、自分の能力をみんなと分かち合う(スケート場を作ったり)ことでA面との共存をする。それもハッピーエンドなんだけど、エルサの能力はそれではおさまらないわけで、パート2では、ルーツのほうからその意味をエルサに伝えようとしてくる。それに応えざるを得ないエルサ。
最終的にさらなるB面の発展を遂げて、自分自身を喜ばせながら生きることができるようになり、その間に一緒に強くなっていたA面(アナ)に力を預ける、ある意味手放すことで、軽やかな「自分の生き方」を手に入れます。
パート1と同様、パート2も「アレンデール王国」を一人の人間の人生として見ることを別の形(架空の人物/オサム)で例えてみます。
・勉強しろと親から言われまくり、それに従って生きてきたオサム。本当はダンスが大好き。ある日、部屋でダンスをしているところを親に見られてウアーー!!となり家を飛び出し、ストリートでダンスをして投げ銭をもらおうとする。だけど気持ちばかり焦って怒りがダンスにこもってしまいうまく踊れない。親が出した捜索願で警察におっかけられる。自分も生活が成り立たないので勇気を振り絞り「ダンスが好きだ」ということを親に伝える。親は戸惑いながらも認めてくれて、勉強しながらダンスもする、という生活に落ち着く。
これがパート1だとしたらパート2は
・親が認める職業(会社経営)に就けたオサム。だけどダンスへの情熱もとどまることを知らなかった。「どうして俺はこんなに踊りたいのか」その気持ちを探らないことには、仕事が手に付かない。探ることにしたオサム。自分でも納得のいく、自分の気持ちに触れることができた。自分の為にもダンスはやめなくていい。自分のダンスの時間を増やすために、従業員を役員に昇格させ、自分の仕事を手分けしてもらうことにした。結果的に事業も拡大することができた。
みたいな感じです。アナ雪ってほんと最高。
■アナ雪と安倍夫妻
そして余談なのですが。
おととしコロナ禍になった時、当時の首相安倍さんの妻、昭恵さんの動向がよく話題になっていた。国民たちが帰省や旅行を自粛している中、昭恵さんはマスクなしでグループ旅行に行ってたり。そういうのがニュースになっていた。
私は安倍さんも昭恵さんのこともよく知らなかったので、「なんなんだこの奥さんは?!」と昭恵さんに興味が湧いた。そして昭恵さんの著作を買い集め、インタビューを読んで、youtubeチャンネル(安倍昭恵の幸せのカタチ)を登録した。
その中に頻繁に登場するのが、「安倍さんが初めて首相になった時、『ファーストレディたるもの』という決まり事を周りから強く指示され、非常に苦しかった」という昭恵さん自身の気持ちの話。だから2回目になれると思ってなかったけど首相にまたなれた時、「これからは私の好きなようにファーストレディをやる」と決めてそれを実行している、ということだった。昭恵さんの「トンデモない」と報道される行動の理由が分かった。
でもそれって、エルサやん! パート1のエルサですやん!
本人は最高!って感じで氷の城にこもって「ありの~ままで~!」って歌ってる。本人には迷いはない。でも国民からしたら、トンデモない行動をしているように見える(実際トンデモない)。エルサがそのへんの普通の人だったら、国が凍っちゃうってことはなかったわけで。でもやっぱエルサは国を治める立場の人なわけで。それがエルサのA面なわけで。
こっちから見る昭恵さんはファーストレディであり、ゴリゴリのA面の象徴なわけです。でも結構、トップの政治家ってB面らしき部分を丸出しにしていて、もうなんか麻生さんとか逆にどんだけB面を出すか、をがんばりすぎてどえらいことになってるみたいな感じもする。もしかしたらあのゴリゴリA面のポジションに就いたら、人間ってひっくり返るものなのかもしれない。
そんな感じで、昭恵さんの「パート1のエルサ感」が面白くて、アナ(「もう氷の城はやめて、戻ってきて」)にはならず、はっちゃけエルサ状態を認めている感じの安倍晋三さんも面白くて。どないなっとんねんという。
安倍夫妻のパート2はどうなるんだ?! ファーストレディの掟をある意味放棄した人なんて今までいなかっただろうし、もしかしたら昭恵さんがB面を極めることで、国がまさかの発展を遂げるような、今までの政治家にはない展開が起こるのでは?! と一人でワクワクしてたんだけど、結構そのあとすぐに菅さんに交代してしまって、ガッカリした。
■そんなわけで
アナ雪は、エルサ(B面)の落とし所、その発展/もう一つ先の自己統合が面白かったけど、ミラベルは家族という集合体の発展(破壊と再構築)が描かれてて、進化しまくりですごかったです。まだ観てないディズニー作品を観ようと思いました!
読んでくださってありがとう! また次回(28日更新)もよろしくお願いします!
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