「恵まれている」という言葉の危うさ
みなさま、あけましておめでとうございます。
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これから8がつく日に更新していこうと思っています。
今回のラインナップです
□年末年始☆たぶちゃん情報
□「恵まれている」という言葉の危うさ
□お知らせ!!!
〈年末年始☆たぶちゃん情報〉
●みなさんどんな年末年始を過ごされましたか?
私は年末はいろいろテレビを見て、年始は人生ゲームをすることができました。人生ゲームへの思い入れについてはまた今度ここに書こうと思います。
●年末に新大久保の「ナショナルマート」に行きました。パキスタンやインド、タイなどのハラール商品という食品を扱うお店だそうです。異国の食べ物がたくさん売ってて楽しいです。そこでこのサンドイッチマサラっていう調味料をなんとなく買ったんですが、辛くなく主張しすぎずなスパイスで、ちょっとかけると風味がついて美味しいです。
薄味に作った鍋にちょっとかけると旨い。味変に役立つ。
そんなわけで、最近思ったことを書いてみました ↓
〈「恵まれている」という言葉アレルギー〉
■年末の電車の中で見つけたPodcast
心理学を研究しているという人が私の本「キレる私をやめたい」について分析して話しているPodcastを見つけたので、年末の空いた電車の中、イヤホンで聴いてみました。
前半は、ナイスなボイスで「そこでこのタブサさんはキレてしまうわけなんですね」とか漫画の内容説明をしていました。
私は、普通なら誰にも言わずに黙っているような「家庭内で親や自分がしでかしたこと」を漫画に描き起こして全国に発売・配信しています。読んだ方にはそこに描かれている〝行動や様子〟にビックリしていただくことが多いですが、私のヤバいところはそれを描かずにいられないってところで、みんな優しいから誰も言ってくれないけど相当おかしい、変態的だと自分で思っています。
そんな自分の本を、イケてるボイスで丁寧に紹介しているというのが、なんか変態クラブの配信みたいで面白くて吹き出しそうになった。イケボっていうやつは、どんなものにでも文学性やインテリ感をプラスさせる要素があるんですね。どんなふうに分析してくれるんだろう、ってワクワクしました。
だけどその数分後、「僕は親にひどい事を言われた事がないから恵まれている」という話に移っていき、喉のあたりがシクシクと痛んできたので停止しスマホを閉じました。
■「恵まれている」という言葉アレルギー
こういう漫画を描いていると、読んだ方から「田房さんと違って私は恵まれています」と面と向かって言われることがあります。ネット上の感想にも「この人と違ってうちの親はマトモだった。自分はすごく恵まれているとわかった」ってことがたくさん書いてある。
もちろん悪気はなくて、ただ純粋にそう感じたから言ってるだけだというのは分かる。だけど思い出してほしい、「あなたより私は恵まれているからよかった」は、誰に言ってもけっこう失礼な言葉であるということを(笑)。
その言葉を直接浴びる環境になった(自分でそうしたんだけど。変態だから)ことにより、話がちょっとそういう雲行きになっただけで「ウッ!」と察知できる体になりました。
「恵まれている」の他に私がアレルギーになった言葉は「ラッキーなことに」「幸いなことに」もあります。これらの言葉は『相対的』な意味が強いんですよね。多くの場合が「こんなことになってしまう人もいるのに」という「もっとよくないことになっている誰か」の存在が含まれています。というかそれがあってこそ成立するフレーズと言ってもいいのではないかと思う。
「幸いなことに」「ラッキーなことに」は文章のあたまに使われることがほとんどで「幸いなことにそこまでの症状にならなかったのですが」とかそういう時によく使われてます。「それを耳にした『そこまでの症状になっている人』はどう思うのだ?」って思っちゃう。家の中で身内同士で言うなら問題ないけど、公で発するには危ういフレーズだと思うんですよね。そう考えると私はこの手のフレーズにもともと疑念を持っていたことを思い出しました。
■私たちって幸せだよね
高校2年生の時。クラスで私は、スポーツ部の子たちが多い7人くらいのグループにいました。私ともう1人のKさん以外はみんなショートカットの髪型。みんな部活で忙しい。私は美術部だったからちょろっと美術室に行くくらいでした。女子校だし「男子の知り合いを作ろう」という目的を持ってわざわざ外に出ないと男子と知り合えない環境でKさんと私は男子の知り合いがいて、日曜日に男子グループと遊んだりしていました。
そういう感じで学校生活を送ってるんだけど、体育の授業のマラソンで走ってる時とか、移動教室で廊下を歩いてる時とか、何かしらのタイミングでKさんが私の顔を覗き込んで「私たちって幸せだよね」って笑顔で言ってくる、という時期がありました。明らかに私だけに言っている。
最初言われた時は「??」ってなったけど、どういう意味なのかよくわからないがでもなんとなく分かる。あくまでKさんへのサービスとして「うん!」と元気に答えてたこともあったし、はははーと笑って誤魔化したこともあった。最後のほうは「うーん?」とか言って聞かないふりをしていました。だって「私って本当に幸せだなあ」と思ったことは一度もなかったから。
「私たちって幸せだよね」は私の母もよく言っていました(「母がしんどい」に記載)。
だから、誰かの存在ありきで発する「私は幸せ」というフレーズの胡散臭さは私にとって馴染み深く、忌み嫌うものでもあり、くさいのににおいをわざわざ確認したくなって記憶の中から引っ張り出して嗅いだりするものとなったのでした。
■人の恵まれ度は比べようがない
誰のどこがどんなふうに恵まれているか、なんて絶対に比べようがないことだと思うんですよね。どれだけうまくいってない人が目の前にいても、その人と自分を比べて「私は恵まれている」と口に出してしまったら、その時点でその「恵まれている」の信憑性はゼロになってしまうと思う。その際の「恵まれている」は暴力的だから。
「私は田房さんに比べたら恵まれているんですけど」と面と向かって言われた時、「そうですか」と答えるしかないんですよね。
でも!実は!心の中では…!「私の親は確かにヤバかったけど、『私はあなたより恵まれている』なんて事をよく知らないのに言えちゃうデリカシーない人にならなくて私はよかったです」とか思ってます。でもそんな事もし言っちゃったら話の本題からそれちゃうし、「いや、そう言うなら私はあんたよりここが恵まれている、あ~よかった合戦(お互い必死すぎてめっちゃツバ飛ぶ)」になっていく可能性もある。
つまりそういう場で発する「恵まれている」はマウント合戦のゴングでしかなく、ただ相手が応戦していないだけで、そもそも言わなくてもその後の会話は成立する不必要なフレーズだとつくづく思いました。
これを書く上でそのPodcastを最後まで聴いてみたんですが、やっぱり「僕は恵まれている」は別にいらなくねーか? なんで入れた? っていう内容でフィニッシュしていました!
〈お知らせです!!〉
■中国語版の「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!」が中国最大の書籍レビューサイト「豆瓣」で2021年最も注目された本第3位に入ったそうです。
・ 「年間注目書籍」 第3位
・ 「年間社会科学ドキュメンタリー部門」 第2位
・ 「年間注目作家」 上野千鶴子
トロフィー! 私のところには来ないけど。
『新週刊』という雑誌の「第1回前衛図書賞」社会科学部門でノミネートされたそうです。https://www.neweekly.com.cn/article/shp0330060567
「新週刊」は「中国では有力な雑誌」と聞いたんですが、「週刊文春」みたいなものかな? と想像しました。文春しか思い浮かばなかった。どんな雑誌なのか、中国について知りたくなりました。
■「なぜ親はうるさいのか」発売中です!!https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480251312/
また次回もおたのしみに~!
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